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vol.19 お茶と禅の深い関係 聖一国師ゆかりの東福寺

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東福寺・通天橋
東福寺・通天橋

 「静岡茶」のはじまりは、鎌倉時代、聖一国師が宋(現在の中国)から持ち帰った茶種を生家のある栃沢やその近くの足久保にまいたことが始まりだといわれています。聖一国師とはどんな人だったのでしょうか。お茶と禅はどのような関係なのでしょうか。聖一国師が開山した京都・ 臨済宗東福寺派の大本山、 東福寺。 東福寺広報主事の 明石碧洲 和尚(以下、明石和尚)にお話を伺いました。

聖一国師の功績

 境内に足を踏み入れると、まず驚くのがその広さです。摂政九條道家が、奈良の東大寺、興福寺から「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したといいます。聖一国師の、当時の政治力の大きさを感じないわけにはいきません。

明石和尚 「聖一国師は、中国でしっかりとした実績を積んで宗派を超えていろいろなお寺で教鞭をとられていました。 数々の功績を称え、朝廷から「国師」第一号を賜りました。今でいう、スーパースター、超カリスマであったことは間違いありません。

  日本で一番最初に禅をもたらしたのは、栄西(ようさい)禅師です。 栄西禅師もお茶の種を中国から持ち帰っておられます。それが、宇治茶のルーツになり、日本全国に茶が広まるきっかけとなりました。そののち、聖一国師も留学された折、文化的なものを持ち帰り、その中に茶の種もありました。その種は、ご生家の近くの栃沢(現在の静岡市)に植えられ、静岡茶のルーツとなっています。」

聖一国師は文献を残しておられず、お茶の種をまかれたのも『伝説』となっていると伺いました。
はやし

明石和尚 「文献については、もともとなかったのか、紛失したのかは分かりません。ただ、禅では「不立文字 (ふりゅうもんじ )教外別伝( きょうげべつでん) 」を大切にしています。 釈迦は、菩提樹の下で一週間座禅をして悟りの境地に至ったとされています。 禅のスタイルは、釈迦の言葉を経典にして暗記するのではなく、釈迦がされてきたことをまずは実践してみようというものです。栄西禅師、国師の時代から現在に至るまで、ここに一番重きを 置いて修業してきました。 確かに国師は文献を残されていませんが、そういった趣旨があったのではないかと思います。」

お茶だけじゃない! 国師が残した功績

聖一国師は、各地にさまざまな功績を残されたとのことですが。
はやし

明石和尚 「博多の大きなおまつり「祇園山笠」は、聖一国師が疫病対策として施餓鬼を行い、祈祷水をまいたことにはじまるとされています。また、聖一国師が中国から様々な文化を持ち込まれた中のひとつに製粉技術もあげられます。博多はうどん発祥の地といわれていますが、これにも聖一国師が関わっています。聖一国師は「大宋諸山之図」に水車を用いた製粉機械の図面を残しました。それまで製粉は、石臼などを使って人力で行われてきました。 水力で製粉する器械 の製図を持ち込んだことにより、我が国の粉文化発展していくことになります。また、聖一国師は、博多の市内にある茶屋のご主人に中国の饅頭(マンドウ)の製法を伝授したとされています。」

※聖一国師と饅頭のお話は、とらやの菓子資料室『虎屋文庫』のウェブ連載コラム「歴史上の人物と和菓子」でも紹介されています。

禅と茶

禅の修行とお茶

岡倉天心は、『茶の本』の中で、「仏教徒の間では、道教の教義をまじえた南方の禅宗が苦心の末丹精の茶の儀式を組み立てた。この儀式こそはついに発達して十五世紀における日本の茶の湯となった」と記しています。※1
 禅とお茶の関係はどういったものなのでしょう。
はやし

※1 岡倉天心『茶の本』岩波文庫

明石和尚 「 禅宗のお寺の書院※2の掛け軸に墨蹟(ぼくせき)で『喫茶去』と掛け軸に書かれています。「喫茶去」とは、「お茶でもどうぞ」という意味です。解釈は多様で難しいのですが、ひとまず、慈しみのこころでお茶を差し上げる。一緒に飲んで、その瞬間を共有する。「喫茶去」は、禅の教えで非常に大切なものとされています。

※2 和尚さんが接客に使う場所

 聖一国師は、東福寺の修行僧に向けて次のような言葉を残されています。

ひととき座禅をすれば、ひとときの仏なり。
一日座禅をすれば、一日の仏なり。
一生座禅をすれば、一生の仏なり。

 座禅をしているそのとき、非常に尊い。しかし、禅の修行は、座禅しているときだけではありません。今お話しているこのとき、寝ているときさえも、一分一秒がすべて修業です。

  たとえば、 お茶をいれる行為ひとつとっても、そうでしょう。 何をするにも油断せず、それぞれが目の前のことに勤しむ。そうすれば、一時の仏である。これをいかに繰り返していくか。

  何でもなく過ごしてしまう瞬間を一生懸命やる。 一生懸命になることで、そこに分別や損得で動く心があったことに気がつく。 聖一国師のこの言葉こそ、禅のエッセンスです。 」

禅寺での修業はどのようなものなのでしょうか
はやし

明石和尚 「 3時ごろに起床し、 掃除をして、座禅と考案をします。食事を挟んで、昼間は、作務(さむ)※3や托鉢、座禅をして過ごします。寝床に就くというところまで決まっています。しかし、消灯の時間に寝てしまう修行僧はいません。布団からこっそり抜け出し、縁側や庭園へ移動し、さらに座禅を明け方までする。 これを日々繰り返すのが修行僧の生活です。

東福寺・通天橋
東福寺・通天橋

※3 作務 …禅寺で、僧が掃除などの労務を行うこと

 禅寺の生活は、力を合わせて何かを成し遂げるのではなく、ひとりひとりが成し遂げなければならない、孤独なものです。ひとつ屋根の下、共同生活をするうえで心をひとつにし、協力するところは協力していかなければなりません。 」

東福寺
この木陰で幾多の僧が座禅を組んできたのだろう

禅寺のお茶の儀式、茶礼とは

禅寺で、お茶はどのように登場しているのでしょうか。
はやし

明石和尚 :「寺では、茶礼(されい)という、お茶の儀式があります。
一日の始まりには、「梅湯茶礼( ばいとうざれい)」 という茶礼があります。梅干しをお湯の中に溶かし込んだ湯で身体の目覚めを良くします。

 座禅と座禅の合間に、お茶やお菓子がでる時間もあります。また、寺で大きな行事の前にも「総茶礼」という大きな茶礼があり、行事が無事円成(えんじょう)することを願ってお茶を飲みます。修行僧は、修業の中でたくさんお茶を飲む機会があります。飲み方にも決まった型があり、各々が好きなように飲むのではなく、合唱し、一斉にいただくことになっています。」

そのときのお茶は、煎茶なのでしょうか。
はやし

明石和尚 「おもに煎茶や番茶です。抹茶もありますし、紅茶でもいいのかもしれませんが、何かしらお茶ですね。

 同じ味のお茶を一斉に飲むことで、心を一つにするという目的のほかに、眠気覚ましの効果もあります。わたしも修行僧のころは、あまりにも眠たいので、お茶葉を噛んで、目を覚まそうとしたこともあります。このように禅の思想は、とても合理的なのです。」

三門をくぐって涅槃に至る

 なぜこんな苦しい修行を続けるのでしょう。
「こんなはずじゃなかった」「こうあるべきだ」――心がそこにしがみついて離れない。放してしまえばいいのに、離れられない苦しみを抱え、人々は自ら座禅修行に入るのだと明石和尚はおっしゃいます。

国宝東福寺三門

明石和尚 「寺の入り口には、三門という大きな門があります。三門とは、三解脱門の略称です。解脱とは、何物にも囚われない自由な心です。
 解脱には三通りがあり、三つの門がならんでいます。
 ひとつは、空門(くうもん)。この世のすべてのものは、実体がないことを悟っているかどうか。今、目に見えているものが、ずっと実在したかといえば、これらすべて過去に誰かが生み出したものです。未来永劫、存在するかといえば、そうではありません。肉体は死ぬし、物質も朽ちていきます。すべてのものはそのままであることはありえません。
 もうひとつは、無相門(むそうもん)。そういった実体のないものを損得ではかったり善悪をつけたり、分別したり、していないかどうか。実体のないものを比べたところでどうしようもありません。
さいごは、無作門(むさんもん)。そういったものを分別して自分のほしいままに貪ることはなかったか。貪るような心を起こしてはいけないと。
 この三通りを体現した境地に至った人だけが、仏として門を通ってよいとされています。その先で、涅槃(ねはん)に至る。伽藍配置にもそんなストーリーがあります。涅槃に至るには修業しかありません。」

三門くぐり、禅と茶に出会う

 その三門と本堂の間に茶の木が植えてあります。
――三門の前で執着を捨てて、禅と茶に出会う――
 そんなストーリーを想像し、そのストーリーに魅力されました。ストーリーの解釈が正しいかはともかく、茶が 禅寺の厳しい修行をささえる大切なツールであることは間違いないでしょう。

東福寺境内のお茶の木

 茶の木のとなりに、献茶木の記念碑を見つけました。聖一国師のご生家のある栃沢の、「栃沢茶を育てる会」の会員の皆さんによるものです。聖一国師がまいた種がルーツとなり、日本一の生産地となった静岡。栃沢の皆さんは、いまなお、そのご縁を大切に守っていらっしゃいます。

栃沢茶を育てる会による献茶木の記念碑

ひととき座禅をすれば、ひとときの仏なり

 ひととき座禅をすれば、ひとときの仏なり。
一日座禅をすれば、一日の仏なり。
一生座禅をすれば、一生の仏なり。
 
 聖一国師の残された言葉です。
 明石和尚は、座禅ばかりが修業ではないとおっしゃいました。なんでもなく過ごす時間 ―― たとえば、お茶をいれる時間――を一生懸命やればいいと。しかし、いざ集中しようとしても、意識はあっちへいったりこっちへいったり、いつもどこか上の空です。日々さまざまな情報に振り回されがちなわたしたちが、目の前のことに集中しつづけることは、難しい。一瞬ならできるかもしれません。しかし、一瞬を積み重ねていくことは、とても孤独で難しい。
 
  とはいえ、何事も実践です。
  まずはお茶をいれることから、はじめてみませんか。

臨済宗東福寺派大本山 東福寺

住所:京都府京都市東山区本町15丁目778
http://www.tofukuji.jp/
一般の方に向けた、日曜座禅会も開催していらっしゃいます。 拝観時間・拝観料金・ 日曜坐禅会 は季節により異なります。事前にホームページをご確認の上、ご入山ください。

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林夏子(はやし なつこ)

林夏子(はやし なつこ)

お茶の文化や歴史、風俗を発信し、お茶愛好家の皆さんとの交流をはかることを目的に『はてしないお茶物語』https://hateshinai-ocha-monogatari.comを運営。管理人:林夏子(フリーライター/日本茶インストラクター/静岡ティーリポーター)

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