今日も静岡茶屋でお待ちしています vol.2 日常のお茶・番茶

晩茶研究会

今日も静岡茶屋でお待ちしています vol.2 日常のお茶・番茶

静岡駅北口から北西に歩いて15分ほどの『茶町』には、全国の荒茶の1割が取引されている『静岡茶市場』があり、その茶市場を囲むようにお茶屋が軒を連ねます。その茶町の細い路地の一角にたたずむ静岡茶屋。店主の薫が今日もお茶とともにみなさまをお待ちしています。

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3回のクリスマスとお正月を一緒に過ごしたミキと別れて半年が過ぎた。付き合っていたころミキはきまって朝、ペアのマグカップにお茶を淹れた。いま、マグカップは半年前から時間が停止したように食器棚に陳列されている。

会社を出た大介は身を切るような冷気を感じて、思わず首をすくめ、上着を掻き合わせた。温暖な静岡でも珍しく冷え込んでいる。本格的に寒波が到来したようだ。コートのポケットに両手を突っ込んでみても、指先が凍えている。こんな日には湯気の立つ温かいお茶が飲みたい――。

「今日はお茶を買って帰るか――」

と、そのとき。黒地に白抜きのノボリが目に映った。

「静岡茶屋」

こんなところにお茶屋があったっけ。記憶にはなかったが、渡りに船と、黒いノボリの立つ店のドアを開けた。

「いらっしゃいませ」

広くない店のカウンターの中から、大介と同世代とおぼしき男性から声がかかる。爽やかな笑顔だ。ぐるりと店内を見回す。棚に並ぶ商品は値段も数百円から数千円。どれがどう違うのか自分でお茶の葉を買ったこともない大介には見当もつかない。口ごもりながらお茶屋のお兄さんに話しかけた。

「……お茶のことは全然知らないんだけど、自分で淹れてみようかなぁって。お茶ってぶっちゃけ、どうやって淹れるんですか」

お兄さんは店内のいくつかのお茶を示しながら、
「お茶の種類によって茶葉の量お湯の温度・お湯の量・浸出時間を調整するというのが教科書的な答えですが、ご自分で淹れるなら自由です。まずは気になったお茶を好きなように楽しんでいただければ」

それからちょっと考え込んで、こたえた。

「でも、だれかのためにお茶を淹れるなら、話は別です」

「えっ」

お兄さんは怖いくらい真顔になった。

「誰かにお茶を淹れるって、対話だと思うのです。ぼくは飲んでくれる人のことを思いながら、『美味しくなぁれ』って念じながらお茶を淹れます。超アナログだけど、お茶って目の前の人へ、言葉の代わりに、場合によっては言葉以上に気持ちを届けられるものなんじゃないかって」

「あれ? お茶を毎朝淹れてくれた彼女と別れた話しましたっけ……」

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ミキがはじめてお茶を淹れた朝が、鮮明に蘇った。「苦くない?」「美味しい?」と不安げに顔を覗き込むミキが愛おしくて大介は少し大げさすぎるくらい「美味しい」とほめた。湯気の立つマグカップから伝わる確かな温かさ。鼻の奥に残る青々しくそれでいてどこか甘やかなお茶の香り。ミキの披露するお茶のうんちくを適当に聞き流しながら、大介はお茶を飲んでいた。

酔っぱらって帰った朝には、苦くて熱いお茶。寝る前にはカフェインの少ないほうじ茶。2人の間に交わす言葉がなくなって、なんとなく”別れ”が横たわるようになっても、ミキはだまってお茶の入ったマグカップを差し出した。手を伸ばせばいつもあった日常が尊いと気がつくのは、いつもそれを失ってからだ。

別れた朝の、マグカップを持つミキの震える手――。
あのときもミキはお茶を淹れることで何かを伝えようとしていたってことか? 知らねーよ、そんなの。鼻の奥がツンとした。

お兄さんはどうぞ、と静かに大介の前にお茶を置いた。緑でも黄色でもない。はじめてみるお茶だ。ひとくち口に含む。どこか懐かしい香りがする。干し草の上で転がったらこんな香りがするんじゃないか。

「このお茶、なんていうお茶なんスか」

「これは晩茶です。”日常茶飯事”っていいますよね。晩茶はそんな風に日本人に飲まれてきた、日常のお茶なんです」

「日常のお茶」

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大介はお兄さんの言葉を反芻しながら、今日もどこかでお茶を淹れているであろうミキの姿を思い浮かべた。これから先、出会った誰かのためにお茶を淹れることもあるんだろう。自分がお茶を淹れるときは、間違っても別れた女のことなんか思い出さないからな。大介は心の中でせいいっぱいの悪態をついた。

「このお茶、ください」

イラスト/yukiko
取材協力/晩茶研究会

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